日本は1895年から1945年までの50年間を台湾を統治していました。
台南を歩いていると重厚な建物に出会うことが多いです。
現在も使われている建物でも、調べてみると日本統治時代に建てられた建物だったりします。
私が出会った建物のうちのいくつかを紹介します。
全て駅から徒歩圏内ですので、あえて住所は載せていません。
もし行かれる場合はGoogle Mapなどで検索してみてくださいね。
それから美術館も含めて全て入場無料でした。
開館日などや中に入れる時間などは変更の可能性がありますので、行かれる直前に確認をしてみてください。
外観を見るだけだったら24時間可能ですよ。
台南に残る日本統治時代の建物
台南駅:1936年=(臺南車站)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
歴史
1936年(昭和11年)3月15日 – 2代目の現駅舎(前站)が落成(設計 宇敷赳夫、施工 池田組)。
1998年12月18日 – 国定古蹟に指定

外観が見える写真は私が2016年4月に行った際に撮った写真です。





嘉義駅:1933年=(嘉義車站)

歴史
1933年に現在の駅舎に改築。

この駅も良い感じですね!!
KANOの野球の像はこの駅前にあるのかと思ったら少し離れた場所にありました。
高雄駅:1940年=(高雄車站)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
日本統治時代末期の1940年に建てられた旧駅舎は、台湾高速鉄道や地下鉄の開通に伴い新駅舎の建設が決定した際、その建物の素晴らしさから保存を望む声が各方面から寄せられ、2002年8月16日、高雄市は移築工事(曳家)を開始。総重量3500トンの駅舎をそのまま台車に乗せ、1日に6m、14日をかけて東南の方向へ82.6m移動させた。

そしてこの建物は、昔を懐かしむために保存されているのではなく、新駅の工事が終了時には、また高雄駅の入り口として使われるとのこと。
凄すぎます!!!
ハヤシ百貨:1932年=(林百貨)


林百貨ホームページより
1932年12月5日にハヤシ百貨店開業。
1998年(民国87年)ハヤシ百貨店は市定古跡に認定され、所有権は台南市政府に属し、修復工事が行われ、ついに2013年1月に完成した。

かつてはデパートだったこの建物は、現在はリノベーションされ中はオシャレなショップがいくつも入っていますが、屋上には日本統治時代の鳥居だったり、第二次大戦中の爆撃の痕も保存されています。
日本勧業銀行 台南支店:1937年=(臺灣土地銀行)


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
昭和12年(1937年)、末広町(中国語版)1丁目119番地(現在の忠義路と中正路の交差点北東角)のハヤシ百貨店斜め向かいに支店の新社屋が落成。
設計は勧銀の建築課が自ら行い、施工は東京清水組(現清水建設)が担当した。
第二次世界大戦後の民国35年(1946年)に台湾土地銀行が設立され、元勧銀台南支店は土地銀台南分行となって現在に至る。

現在も銀行として使われているので、中を見学することはできません。
(もちろん銀行に用があれば入れます)
台南武徳殿:1936年=(忠義小学校講堂)


孔子廟のすぐ隣です。
この建物は1936年に建てられた道場らしいです。
現在は忠義小学校の講堂としても利用・保存されているとのこと。
台湾総督府専売局台南支局台南出張所:1929年頃=(台南文化創意産業園区)

台南市政府観光旅遊局のホームページより
台湾総督府専売局台南支局台南出張所だったところですが、台南文化創意産業園区として整備され、厳かな歴史的建築が観光やレジャーにぴったりの場所に変身しました。

現在はアートスポットになっているようですが、私が行った時には特にこの建物内では何も展示はありませんでした。
日本時代の神社の跡や石臼などが保存されていました。
台南警察署:1931年=(臺南市美術館 1館)

台南市政府観光旅遊局のホームページより
建築家石昭永氏とプリツカー賞を受賞した坂茂建築設計事務所との共同設計により建設されました。メインとなる建物は台南市定古跡である1931年完成の旧台南警察署で、当時の台南州の技師者 梅澤捨次郎によって設計された折衷主義アール・デコ様式建築物です。1館の新旧が融合した空間には、台南出身アーティストの作品やその他地域の有名アーティストの作品が展示され、美的教育の発展を目標に、さまざまな芸術教育活動が行われています。

中の写真はあえて載せませんが、機会があれば是非中に入ってみてください。私は全くの知識なしで入ったので、ちょっとビックリしました。
台南州庁:1913年=(國立臺灣文學館)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
旧台南州庁(きゅうたいなんしゅうちょう、繁体字: 原臺南州廳)は台湾台南市中西区にある国定古蹟の建築物。日本人建築家の森山松之助による設計で、日本統治時代に台南庁、後に台南州の行政組織が置かれたほか、州轄市としての台南市庁も兼ねていた。
戦後は中華民国空軍司令部、台南市政府庁舎として1997年まで使われた。1998年に直轄市指定古蹟登録を経て、修復・拡張工事が始まり、2003年に国定古蹟に昇格。現在は中華民国文化部傘下の文化部文化資産局によって国立文化資産保存研究センター(繁体字: 文化資產保存研究中心)と国立台湾文学館として運営されている。古蹟名義は旧州庁だが、戦後長期にわたって台南市政府庁舎として使われたため、市民には「旧市政府」という呼称で定着している。
大正2年(1913年)10月11日に上棟式が催され、当時総督府営繕課の技師だった森山松之助による設計で、レンガ造りによる石壁と鉄骨梁、鉄筋コンクリートを組み合わせた2階建て建築で、屋根には銅瓦によるマンサード屋根様式が採用された。正門の立面は円形柱を誂えた左右に1つずつの衛塔を備えている。

中に展示されている文学作品については全く知識がありませんが、建物が良かったです。入ってみて良かったです。
台南合同庁舎:1936年=(消防史料館)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
1919年(大正8年)ごろに私設消防隊を結成し、消防車を寄贈するなど市の防災に尽力し[5]、慈善事業にも篤かった住吉秀松(1872-1928)の彫像があった。塔は初期には「火見楼」と呼ばれ、後に「望火楼」と改称された。当時の台南市内で最も高い建築物で、市内の火災をいち早く察知するために使われていた。
1936年(昭和11年)、台南州は台南市、嘉義市、虎尾街に『公設消防組』と『常備消防手』を設置し、台南には10名が配属されていた。
1937年(昭和12年)5月19日に塔の両翼増築工事が起工。合同庁舎が翌1938年4月25日に竣工した。設計は台南州土木課営繕係によるもの。 塔の左翼側は消防組詰所、右翼側は台南州の警察会館と最奥部は錦町(中国語版)派出所が使用していた。

中には半鐘なども展示されていました。
子供用の消防服などもあり、子供たちが消防士の体験もしてました。
まとめ
中に入れる建物がいくつかありますが、全て入って良かったです。
今回は中の写真は全て載せていません(笑)
是非ご自身の目で見て欲しいと思います。
そしてしっかり古い建物が保存されているのに驚きました。
実はまだまだ台南市内には日本時代に建てられた建物があります。
これからも訪問しましたら、このブログに追加していきたいと思います。
それでは、ではでは〜!!